初の女役、年配の男役
1月27日にradikoでいち早く文学の扉『椿姫』(後篇)が放送されました。
ちなみに前篇の感想はこちらです。
後篇はさらにアルマンの父の登場により状況が切迫します。
アルマンの父も早霧せいなさんが演じました。
ちぎさんは宝塚在団中はお父さんやおじいさんの役を演じたことがなかったそうです。
そういえばおじさん役をしているちぎさんはあまりイメージが湧きません。
しかし、今回は息子やマルグリットを諭す大人として存在感ある役をうまく演じています。
私が感じたことなどをツイートしましたのでそれらを載せたいと思います。(追記ツイートあります)
『椿姫』(後篇)
椿姫後篇も文学の世界に誘われた。
アルマンはマルグリットを愛するには若すぎた。
濃密な人生を送ってきたマルグリットはすべてを悟り、贖罪として身を引き、その為に最愛の恋人から自ら憎まれるという選択をする。
可愛さ余って憎さ百倍、かくしてアルマンはマルグリットに復讐を打って出る— はぴごろも (@hapigoromo) January 28, 2018
アルマンの父は巧妙だ
きっと彼も権謀術数が渦巻く裏社会も知りつつ生き残ってきたのだろう。
マルグリットに金で籠絡できないこと、二人を結びつけているものは無償の愛であることを知ると戦法を変える。海千山千の猛者だ。アルマンの妹の話を持ち出すがその話も真実ではない可能性がある#文学の扉— はぴごろも (@hapigoromo) January 28, 2018
アルマンはマルグリットと愛し合うことはできたが守り抜くことはできなかった。
父との確執は黙っていれば良かったのだ。
しかしマルグリットはそもそも嘘をついて家を借りている。借金もある。
二人の関係が父の元に知らされるのは時間の問題であった。#文学の扉 思い出し— はぴごろも (@hapigoromo) January 31, 2018
煌びやかな宝石で周りを埋めれば埋めるほどマルグリットはその中で埋もれてゆく自分に闇を感じ、孤独に陥っていた。
宝石を取り払い虚栄心のない真っさらな心こそ真実が見え、愛が生まれることを知る
「私、生まれ変わる」とアルマンに告げる言葉にはこれまでにない希望の光が見えていたことだろう— はぴごろも (@hapigoromo) January 28, 2018
アルマンの父からすれば世間知らずで実直過ぎる息子より、社会、こと裏社会の理を知り尽くしたマルグリットの方が籠絡するには容易かった
欺瞞に満ちた生活から何もなかったかのように蝶やトンボを追う日々こそ幻想でしかないことを罪深さとともにマルグリットの喉元に突き付けたのだ— はぴごろも (@hapigoromo) January 28, 2018
置き手紙からは別れはマルグリットの本意ではないことをアルマンは読み解けなかった。彼女が手紙を残しここから去っていった現実、すぐに他の男のものとなることを想像すると冷静な判断は不可能だった。父の説得も時間差ながら奏功した
愛の火種に憎悪の燃料が注がれ復讐という紅蓮の炎に包まれた— はぴごろも (@hapigoromo) January 28, 2018
マルグリットがアルマンの母の遺産を狙っていると讒言されたのは公爵の復讐か
嘘には報いがある。これまでの金とスキャンダルにまみれた人生は病、借金、軽蔑という報いになって現れた。
愛はそれらを清算できるチャンスであったが失敗すれば何倍もの痛手を負う。復讐という名の。#文学の扉— はぴごろも (@hapigoromo) January 31, 2018
求め続ける、与えられ続けることが存在意義だったマルグリットが最期に初めて与える側になる。
それは幸せであり、幸せを与えることで初めて誇りを手にした。
しかしそれはあまりにも辛い代償と引き換えであり病状の悪化を余儀なくされるがその姿を見せないのも愛だった#文学の扉— はぴごろも (@hapigoromo) January 28, 2018
当時の交通事情を考えれば病状が悪化してからドーバー海峡を超えイギリスで生活するのは至難の業。
弱くなった自分が同じ轍を踏まないように自ら退路を絶ったことは、アルマンの幸せを願うマルグリットができる最後の愛でもあった#文学の扉— はぴごろも (@hapigoromo) January 28, 2018
中嶋朋子さんとのトークより
「自分から懸け離れた人物を演じるのは勇気が要る」
自分に嘘を付けないちぎさんらしい言葉だと思った。自分の心と演じる人物との心情の乖離が嘘として舞台に現れないか。それを心配する心が「臆病者」ということだろうか
今回、中嶋さんに質問し「どちらも好き」という言葉にヒントを得たかもしれない— はぴごろも (@hapigoromo) January 28, 2018
ちぎさんの退団後初の女役、在団中も含めて年配男性役も初でしたが、これまで培ってきた役者としての糧が息づいているなと感じました。人物を真摯に探求すればするほど奥深さを知り、それを自分で臆病としているのかも。
しかしいざ幕が開ければ役に入り込み、不安が飛ぶほど集中しているのでは。
これから来たる見えぬものを、見えぬ自身を見ようとするのは不安だが、それを助けるのは早霧せいなという役者の中にあることも事実。
今回の椿姫はとても素晴らしいもので、文学の世界を堪能させて頂きました。今後も応援しています!
28日もラジオ放送が聴けますし、radikoでも聴けます。またユーチューブでも聴けるようになると思います。
次回も、女優の早霧せいなさんをお迎えして、のデュマ・フィスの「椿姫」(後編)をお送りします。1月28日(日)夜9時から。是非お聞きください。 #tbsradio #tbs954 https://t.co/6IwYqenZT3
— 文学の扉 (@tobiratbs) 2018年1月22日
お読みいただきありがとうございました。
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