『ゲルニカ』ライブ配信感想~レイチェルに見る希望の光~




観るものに委ねる良作

『ゲルニカ』ライブ配信を観た感想を書こうと思います。

本当は生の舞台で観るのが最高ですが、こうして観られる機会があるのは本当にありがたいです。

スペイン内戦時のゲルニカ無差別爆撃を描いたピカソの作品「ゲルニカ」から、この作品は作られました。

戦争と言っても歴史劇ではなく、ゲルニカに生きた人間ドラマが印象深かった良作だったと思います。

観ている間はライブ配信で集中できるかしら?と不安でしたが、幕が上がれば息をするのも忘れるほど舞台に見入ってしまいました。日常にいるのに意識がしばらく日常に戻って来れなかったです。

元々ピカソの視点で「ゲルニカ」は描かれましたが、舞台作品では政治的主張はなく、観るものに委ねられた余白の多い作品でした。

スペイン内戦が激化する中、そこに暮らす人々に関係なくゲルニカには着々と焼夷弾が落とされる準備が進みます。

日常の暮らしも希望も、寸分の狂いもなく計画的に破壊してしまう人間の狂気にゾッとしました。

そこには懐かしのトルティーヤに舌鼓を打ったり、自分たちの言語:バスク語で自由な暮らしを夢観たり、赤ちゃんの誕生にワクワクしたり。ゲルニカに生きる人々の暮らしが、たしかにあったのですが。

戦争は夢も希望も一瞬にして消し去り、またなかったことにしたり、プロパガンダにより事実と異なる記事にされたりすることがあります。

一般市民が犠牲になったゲルニカ空爆は史上初ということもあり、事実は闇に葬られる危機にあったかもしれません。

民間人を爆撃したり捕虜に危害を与えることは国際法違反になりますが、こうしたことも多々あったのだと思います。

ちなみに日本でも、私の住む市でも先の戦争で激しい空襲がありました。その都市の数は113に上ります。

私の父は子供の頃、面白半分に爆撃機から撃たれた農家の人を目撃していますし、母も焼夷弾により5歳で家を焼け出され、焼け野原になった町を命からがら逃れました。物語ではなく、そう遠い昔ではないそう遠くない場所でも、暮らしを破壊する現実が本当にあったのですね。

戦争で破壊するのはまず「暮らし」と戦場記者レイチェル(早霧せいな)が言っていたのですが、本当にそのとおりだと思います。

戦場となる場所に暮らしている民間人はいるのに、ある日突然、焼け野原とされてしまう理不尽さ。

社会基盤が弱ければ弱いほど影響はすぐに出ますし、長引けば長引くほど、回復に時間が掛かります。

また、ゲルニカ爆撃はスペイン内戦ですが、主義の違いにより後方でそれぞれソ連・ドイツ&イタリアが支援しています。だから余計に泥沼になりやすいのですね。

そうしてまっさきに犠牲になるのは前線の兵士、そして甚大な被害を受けるのが戦地になってしまう人々です。

理不尽極まるものが本当にあった怖さを思わずにいられません。


 

希望と見るか、悲劇と見るか。

そんな舞台化された「ゲルニカ」ですが、視点により希望と見るか、悲劇と見るかに分かれるかと思います。

どんなに希望を持っても、いや希望をもったからこそ、その破壊が建築物だけにとどまらず、人の精神まで壊滅的なダメージを与えるのは確か。

それでも、そこまで暮らした人間たちに注目して、できる限りの希望を見出そうとすることもできる。

これは受ける側の取り方で良いかなあと思います。

最後は赤く染まる舞台にやりきれなさはあるのですが、でもそこに暮らした人々のことを思いたい、希望を感じたい、と私は思いました。

レイチェルについて

この作品の中で特に希望を感じたのは早霧せいなさん演じる戦場記者レイチェルの言葉です。

主人公サラ(上白石萌歌)の妊娠を直感で察知したレイチェル。

戦時中の妊娠に不安を隠せないサラの気持ちに寄り添い、命の尊さに触れ希望をもたせたレイチェルの優しさですよね。

レイチェル自身は残念ながら妊娠を望めない身体。

そのことが関係して戦場記者になったのかはわからないけど、命の尊さを人一倍感じられる人なのだなあと思いました。

サラのお腹に耳を当て、話しかけるレイチェル。その表情は希望の光が差したように、とても魅力的でした。

 

もともとレイチェルは戦場記者として、

「事実は正確に伝えるべし!」との強い信念を持った人で実直な仕事を心掛けていました。

行動をともにした記者クリフは自分の脚色を加えたドラマチックな記事に仕上げるのが信条であり、実直なレイチェルとは対照的です。

爆撃のカタストロフィを迎えるにあたり、この価値観の相違がどのような展開を見せるか非常に興味深かったです。

 

そして赤いカーテンにゲルニカの人々が無残にも覆われ…

レイチェルとクリフが静かにその地に立ちました。

彼女はサラの血に染まったおくるみをそっと優しく抱き上げます。

レイチェルは母性、もっと言えば人間らしい行動を自然と選択したのかもしれません。

かといって記者として事実を伝える仕事を放棄したわけでなく、

「書いて。伝えて。」と短くクリフに伝えます。

事実を伝えることがいかに後世にとって重要か。

正確に歴史に残すことで犠牲者に少しでも報い、またゲルニカの地に暮らしを取り戻せるか。

それは一筋の希望の光に繋がるかもしれない。

血のおくるみを抱くレイチェルの立ち姿に私も心を打たれました。

 

戦場記者として走り続けた彼女は仕事に打ち込む一方で、その意義に迷いもあったようです。

でもサラとの出会いがレイチェルの迷いも払拭してくれたのだと思います。

早霧せいなさんの聡明さと人間味溢れるお人柄が、実直なレイチェルの役をドラマチックにしてくれました。

 

ゲルニカのポスターを見ると、瞬間の出来事に人々が固唾を呑んで見守ったり歓喜したり頭を抱えたり、それぞれの表情に「生」を感じます。その中心にいて静かにこちらを見つめるサラ。

抗えない理不尽の波にどう生きたか、思うところが多い作品でした。

 

早霧せいなさん演じるレイチェルを中心に書いてしまいましたが、上白石萌歌さんはじめ、中山優馬さん、勝地涼さん、キムラ緑子さんたちのキャストもそれぞれ本当に素晴らしかったです。

あと、照明や音楽ほか演出がとてもよかったですね。

十字架のような照明が印象的でした。

そして音楽は緊迫感溢れる鼓動のようであり、迫りくる爆撃機のようであり。都度揺さぶられました。

 

また、素数が出てきたあたりが宝塚宙組公演FLYING SAPA -フライング サパ-』をちょっと思い出したり。

無機質なデジタル化による予定調和とその中にあった人間ドラマ。

ほかにも宗教、主義、民族、門地などさまざまな違いから問題や対立が背景ありましたが、

重い内容ながらもすべて沈んでしまうことはなく、

躍動した人間ドラマが繰り広げられ、ゲルニカの世界に深く引き込まれました。

ツアーでの舞台の成功もお祈りしております。

お読み頂きありがとうございました。

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