真彩希帆とデボラに共通するアイデンティティの希求(『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』感想②)




真彩希帆とデボラのめぐり逢い

時代と国そして環境は大きく違えど、混迷の渦の中に飲み込まれていく時に、デボラと真彩の邂逅はあった。

役を通し、二人の女性の運命的なめぐり逢いだったのではと思いを馳せてみる…

 

19世紀半ば、遅れてニューヨークへ渡った東欧のユダヤ人。ヌードルスやデボラはその移民の子であり差別と貧困の中生きていた。バレエの練習を仲間たちと無邪気に覗いていたヌードルスに、デボラは「ゴキ○リ」との言葉を浴びせる。たしかに身なりや行動はそうだ(いや可愛いけど)。しかしデボラは心底軽蔑しているわけではない。

デボラを見つめる眼に、ヌードルスが根っからのワルではないことを感じていたのではないか。狂気へ暴走したマックスからすればヌードルスは極めて中庸であると思う。ただただ、時代と境遇が彼をチンピラにしているだけであると。

陽の当たるビジネスにおいても手腕を発揮できると信じていたし、すぐにでも裏社会から手を切ることを切望していた。デボラはデボラの理想とする「皇帝と皇后」像があったと思う。

しかし、仲間の義理を重んじて裏社会の地獄への道を進んでいったヌードルスとは男女の仲という上では大きな亀裂を生むことになった。それは天国への道と地獄(Inferno)の対比で強く感じられた。地獄の頂点はどうやったって天国に行き着くはずがないのだ。

「皇帝と皇后」の夢の乖離とそれぞれの薔薇が象徴するもの『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』感想①

ヌードルスに期待をしつつ、デボラは日々研鑽を積んだ。皇后になるために正攻法で行く道を選んだ。

ところで、なぜデボラは皇后になりたいと思ったのだろうか。

自分が差別と貧困から抜け出すため。

第一にそれはあると思う。

きらびやかな摩天楼(金持ち&権威の象徴)に対して、ローワー・イーストサイドに住むユダヤ人は蹴っ飛ばされる石ころに過ぎない。

そんな人生を自ら打破したい気持ち。

さらにデボラ自身がユダヤ人初の皇后になることで、その地に住む移民ユダヤ人の誇りを取り戻したい、という大きな夢があったのではないかと想像する。

ユダヤ人は自分の国を持たず、長年異教徒から虐げられてきた。

ユダヤ人であるデボラは自分が何者であるか、すなわちアイデンティティを強く求めていたのだと思う。自らが輝くことで何者でもない根無し草のような身分から、大きく自分を確立しようとする意志を感じた。

実力と権威を得ることでユダヤ人のアイデンティティを取り戻したかたったのではないかと思う。

真彩演じるデボラには、その歌声や意志の強さから、脈々と流れるユダヤ人の血をフツフツと感じさせた。自分だけではなくヌードルスももちろんそうであって欲しいし、この地に住むユダヤ人を地獄の熱狂から救いたかったのではないだろうか。

真彩希帆の組み替え経験が組への所属欲求を高めた

真彩希帆は2012年4月の初舞台以来、なんと5組のすべてを経験している。高い実力を買われての組替えであっただろう。それぞれの組で多くの経験も積んだだろう。

しかし一方では真彩自身「自分はどこの組なのか」という悩みもあったようだ。それだからこそ2017年1月、最後に組み替えになった時、雪組は「特別な場所」になった。「1人の男役さんの相手になるという夢」はそうした経験から真彩の人並みならない切なる願いであり、大きな夢であったと思う。

(雪組トップ娘役の真彩希帆 涙の退団会見…トップスター望海風斗と同時退団デイリー記事参照)

真彩の退団が発表され、2月18日に会見により彼女はこうした心情を明かしてくれた。

デボラの人生と真彩希帆の舞台人生には「アイデンティティの希求」という大きな共通点があったと感じている。

真彩希帆の歩んできた道があったから宝塚版のデボラは小池修一郎によってこの世に舞い降り、真彩と出会ったのだと思う。時代背景や長い人生を演じる点など難しい点は多々あると拝察するが、役作りに関してそういった点でスッと感覚で分かる部分もあったのでは。

組み替えを経験し、トップ娘役としても経験を積み、高みを追求し続けたからこそ出会えた、運命的な役であったのだと改めて思いを馳せる。

望海風斗と真彩希帆のコンビだからこそ、簡単に愛は成就しない

雪組という「特別な場所」で「1人の男役の相手」になったその男役が宝塚歌劇団の至宝、望海風斗であることが感慨深い。実力が抜きん出て高いだけではなく、信頼し合ってどこまでも高みを求めて進んでゆく、劇団の歴史上でもなかなかいないコンビを思うと、ワンスのストーリーの中でもそこそこの成功の場面で二人の愛が成就してはいけなかったのではないかとちょっと合点がいくところもある。

大団円のラブストーリーももちろんいいが、だいきほ二人のコンビが強固だから、こうしたストーリー、つまりトップ娘役がトップスターの愛においそれと応えない話も宝塚の舞台として成立する。

さらに物語に深みを与え、時代を生き抜く強さや哀愁、時間の流れ、仲間、裏切り、人生とは…雪組の舞台からはいろんなことを感じさせてもらった。

今の困難な時代もきっと流れて過去になっていく。ワンスの時代もまた過ぎ去ったように。そしてヌードルスやデボラのようにそこで生き抜いた人はたしかにいたのだと。

過去は去り未来は巡る。殺伐としたグレーな時代があってもこの世の終わりではない。失ったものは計り知れないほど多くとも、それでもすべての人生捨てたものではない。

以前のようなきらびやかな光にあらずとも、きっとまた柔らかな優しい光が射すときが来るだろう。その時はそれまで気が付かなかったようなほんの少しの価値が少しの幸せとなってそっと心を癒すのかも…そんなふうに思わせてくれた作品だった。

 

お読みいただきありがとうございました。(敬称略にて失礼しました)

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