はじめに
こんにちは。いかがお過ごしでしょう?
私は先日高熱が3日続き、その後も湿疹と結構な疲労感で計1週間社会生活が停止しておりました。伝染性単核球症というものでした。初めて聞きましたが子どもが感染しても大したことないのに大人がなるとなかなか大変なやつです。熱は薬のないインフルエンザみたいな感じでなかなか下がらない。疲労感は前腕とふくらはぎが特に重くて全身ダルい。座っていられないくらいで横になってばかり。いやー、やれやれでした。
食事があまり摂れていなかった為、点滴後に医師から炭水化物と塩分摂ってねと指示があったのでおにぎりを食べました。そして味噌汁。今は医療も発達しているし普通に仕事すれば食べ物も手に入る。現代に生まれて良かった良かった。裕福ではないけど今日の米がないぐらい爪に火を灯す生活をしたことがないから、幕末の東北の極貧の生活をした人々の気持ちは理解できないだろうなあ。
さて、毎度観劇叶わず、ライブビューイングも残念ながら控えました。体調が復活しましたので雪組『壬生義士伝』のDVDを観た感想を書いてみたいと思いますがあまり感想になっていなかったらすみません。
一身に命を賭して義を貫く人
冒頭、夜のしじまに響くような尺八の音、東北のもの寂しい冬を感じさせるような独奏だ。
そこから一気にオーケストラの優雅な調べに変化する。艶やかな西洋の衣装に身を包んだ娘たち。華やかな鹿鳴館の場面で幕を開ける。新しい時代の幕開けでもあろう。
西洋の文化に追いつこうと先んじる者、翻弄される者、長らく日本古来の文化で生きてきた者たちにとって急激な変化は無理からぬことで滑稽に描かれる。しかしこれも「日本」が生き残る為に必要なことだっただろう。
幕末から明治維新を生き延びた人々により吉村は語られる。
主人公:吉村貫一郎(望海風斗)という人はどのような人物であったか。
一言で言えば、愛と忠義に生きた男だろう。
この「義」の解釈は難しくもある。脱藩はかなりの重罪であると思うが「家族を食わせられないから」、という理由は理解できる。商人への身分変更の断り(再婚の辞退でもあるが)も武士の血がそれを許さないのも想像できる。しかし新撰組として行動すべきときに退避の命令に背いてまで特攻してしまったのは何故だろう。そこまでして守ったものとは…。
命令を守り最後までうまく生き延びれば、故郷に金を送り続けることもできただろう。「家族を食わせる」ことが彼にとっての義ならば、そのほうがよりよくはないだろうか。しかし吉村はそれを選ばなかった。その方がしづ(真彩希帆)の元に帰る約束も果たせる可能性も高まるのに。なぜだろう。
命のやりとりをしない、毎日の飯に困らない現代の私たちには、完全には理解し得ない点があっても致し方のないところではあるが…。
負け戦と分かっていても吉村の顔には覚悟があった。武士(もののふ)として生を受けたのならば、最期まで武士たらんと覚悟を決めていたような眼。武士の終焉を感じていたかもしれない。文字通りの孤軍奮闘であったが戦いぶりは見事であった。諸所において望海風斗、そして雪組の立ち回りの素晴らしさが物語の質を高めた。
吉村は最期であっても故郷の握り飯も口にせず、数多の血で切れ味の劣化した自分の刀で、武士の責任を果たした。かつて竹馬の友であった大野次郎衛門(彩風咲奈)の心配りにも少しも甘えることなく。
貫一郎という名の通り、一身に自分の信じる「義」を貫き通した人であると感じた。
彼は新撰組の中で活躍してもしづや子供たちのへの愛は変わらなかった。しづを、子供たちを、盛岡を愛してやまないのはきっと伝わっていたと思う。
しづも口減らしのため自ら身を投げるほどの人。吉村が断られたら腹を切ってもいいぐらい惚れた人物であるから、優しさとともに芯の強さがある人だったのではないか。真彩希帆の演じるしづもまた覚悟を持った人であると感じた。子供たちはしづの母性とともに遠く離れた父貫一郎の愛も感じて逞しく育っていったのだろう。
石を割って咲く花、石割桜が吉村の羽織の紋になっているところも吉村の故郷の愛を感じる。
吉村もしづも厳しい環境を突破していく生き方であったと思う。石を割って咲く花のような生き方。自らは壁にぶち当たり傷つこうとも後世へと繋ぐために咲く献身的な花ではないか。
「ぽたり…ぽたり…」
望海風斗の歌が沁みる。つららの溶け落ちる音でもあり、悲しい涙の零れる音でもある。
「ぽたり、ぽたり」と音がするということは下は土ではなく石かもしれない。しかし不毛の石ころだらけの地ではなく、さらにその下には種があったのだろう。
ぽたりぽたりと流れたつららの水、あるいは涙はこぼれ落ちて終わり、ではないと思う。
雨だれ石を穿つ。つららの雫は辛い涙だけではなくわずかな春の訪れも感じさせる。つららの雫はいつまでも落ち続けるものではないように、辛い涙もきっといつまでもではない、と願わずにはいられない。
耐えて耐えて苦労はその後養分となり、石の下で種が芽吹き、やがて石を割って美しい花を咲かせる。
花はまた次代へ子孫を残しその愛、義は受け継がれたのではないか。
極貧でも耐えた吉村の娘みつ(朝月希和)は、のちに医者となる大野千秋(綾凰華:大野次郎右衛門の息子)と結婚し看護士になった。
長男嘉一郎(彩海せら)も父の遺志を継ごうとする。大野に立派になったと充分うならせるほどに成長した。
さらに末の子は稲の品種改良を研究していると聞き、私は涙が止まらなかった。きっと冷害に強い稲を研究しただろう。病気にも干ばつにも強風にも倒れない吉村貫一郎のような強さを持った稲を作ったのかもしれない。
吉村自身はあれほど人を切ったのに、吉村夫妻の愛を感じて子どもたちは多くの人を救う道へ進んだ。
幕末という激動の時代、吉村は武士として人を切ることで家族を食わせたが、時代が時代ならば本来の優しさや勤勉さできっと日本を救うような貢献をしたに違いない。
斎藤一(朝美絢)は吉村と対極をなす人物として描かれた。理由なく人を切る、死んでも「悲しむものなど誰もいない」人生。愛に溢れた吉村が疎ましく思えたのも無理はない。酒席での吉村何者ぞと見る眼にゾクゾクした。すべての音を濁らせた「油小路だあっ!」は秀逸だった。
斎藤はいつ死んでもおかしくないほど命を軽んじてきたが、それでも生き延びた。優しい吉村よりも。きっと彼が生きた意味もあったと思う。吉村との出会いや仲間の沖田(永遠輝せあ)の存在も大きかったであろうし、実は面倒見のいい土方(彩凪翔)の影響もあって人間的に成長したのではないだろうか。
かといって当時の状況を思うと、人の生死だけで単純に良い人生残念な人生と決められるものではなく、吉村は命を終えたが義は愛とともに伝えられ、家族のみならず東北そして北海道、さらに日本の繁栄に繋がったのだろう。
まさに石を割って咲く花のような強さと優しさを持った男の物語であったと感じた。
おわりに
とある農家さんに頂いた新米で炊いた一つの輝ける握り飯を見て、吉村貫一郎を思う。
その時代があったからこそ今がある。吉村や時代に想いを馳せつつ感謝して頂こうと思います。
お読み頂きありがとうございました。
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