『Baddy』罪が罪であるためには。こんな考えもいかがでしょう?の巻




まだまだバッディ

こんにちは、はぴごろもです。

雪組公演が初日を迎えようとしている頃ですが、月組「Baddy」より、また思ったことを思い出して少々書きたいと思います。

タイミングがバッディかもしれませんがバッディなのでグッドタイミング?まあまあ、よろしければご覧くださいませ。

文体を変えて断定的な口調で書きますが、実はすべての文のあとに「なのかもしれません」が付きますw

罪が罪であるためには

罪とはなんだろう。

美弥るりか演じるスイートハートは罪を犯すのが快感。そして罪を犯すデンジェラスな人に魅力を感じる。

罪が「罪」であるということはその世界は基本的に「善」が支配しているということ。

そうではないだろうか。

極悪人が世界征服をして俺がルールブックだ!みたいなことになれば、その罪はもはや罪ではない。それはなんの変哲もないスタンダードの行動になるだろう。

現にピースフルプラネット「地球」では喫煙が罪だが、日本の法律では20歳から合法だ。

ではスイートハートは何を求めていたのか。

彼(彼女?)は「行動そのもの」ではなく、「禁を犯すこと」に魅了されるのではないか。

誰も思いつかないような独創的な行動。

既成概念の枠を越える行動。

危険を顧みない常識のストッパーなしの行動。

「小さな殻の中に収まりたくない」という気持ちは、男女の枠を超えた存在であるスイートハートが求めるところであり、大いに説得力を感じる。

「悪いことがしたい」も同様だ。

悪いことである為には相対的に良い世界がなくてはならない。

善と悪が入り混じった世界だから魅惑的になるのだ。

スイートハートは良識ある世界の中で枠に囚われない自由を目指した。善のベースがあるから悪の華が妖しい芳香を放つ。

珠城りょう演じるバッディも然り。

バッディも生れながらにして悪ではなかったはず。善の世界が清らかすぎて自由に泳げなくなり地球を飛び出していた。

しかし、つぎはぎの宇宙服を着てでも地球に再び舞い降りた。どこか故郷を懐かしんでの気持ちがあったのだろうか。

愛希れいか演じるグッディが追いかけてくることにバッディは惚れていると勘違いするのだが、真っ直ぐな清らかさはバッディが心の奥で求めていたものなのかもしれない。

グッディもバッディとの出会いは鮮烈だった。バッディのまさかの勘違い。有能な捜査官ですら考えられない思考回路のバッディに、無防備であった心を撃ち抜かれた。

グッディにとってはあまりにも自由なバッディは困惑しながらも心惹かれてしまう。

そうこうするうちに国家予算を盗まれることに。

グッディはこれまでになかった「怒り」の感情を経験する。

それは「生きている私」を強く認識させるアグレッシブな感情であった。

ロケットにより湧き上がる怒りの感情をうまく体現させた。

堕ちた先は…

人はそれぞれ、自分にはないものがある。完璧な存在ではないからお互い惹かれ合うのだ。

バッディは大小さまざまだが罪を犯し続け、またグッディも職責がありながらバッディに惹かれてしまう心の罪を犯す。

善悪相反する二人だが、最後までやり遂げる気持ちは共通していた。崖っぷちに立つものの覚悟を決めた目は儚くも美しい。

一方、ポッキー巡査も単独でアジトを爆破するという大胆すぎる行動が罪であっただろうか。スイートハートも恋人バッディよりもデンジェラスな男としてポッキーに駆け寄り頬を寄せ炎の中に。

バッディ、グッディ、スイートハート、ポッキー…皆が炎に包まれ奈落の底に堕ちた。

堕ちた先は地獄だったのか…

 

いや、階段を下りてきたところはなんと天国であった。堕ちるから地獄、上れば天国、ではなかった。

皆がいるからそこは「天国」になり得たのかもしれない。

天国は堅苦しい「heaven」ではなく「paradise」。楽園だったのではないか。

血の通ったイキイキとした善悪混在の世界がそこに広がったのであった。

おわりに

改めて上田久美子氏の脚本には驚くばかり。すべてルールをこなした上で枠を打ち破ったのですから。

月組の皆様もグイグイ惹きつけてくれました。

こんな考え方もいかがでしょう、と書いてみましたがお楽しみ頂けましたら幸いです。

いろいろな考え方ができるのは楽しいですね。

お読みいただきありがとうございました(^^)

にほんブログ村 演劇・ダンスブログ 宝塚歌劇団へ
にほんブログ村










コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

※注意! お名前は表示されますのでニックネームで。メアドは不要。日本語のみ。管理人承認後に表示。