『琥珀色の雨にぬれて』ふたたび感想
こんにちは、はぴごろもです。
先日、『琥珀色の雨にぬれて』の感想などをツイッターでちらほら見かけまして、私も作品のあんな場面やこんな場面を思い出しました。
作品を通して美しい情景が広がります。
そして郷愁を誘う楽曲。
主題歌の「琥珀色の雨にぬれて」は今でも気が付くと鼻歌で歌っています。ああ、なんて美しい。
そう、作品に登場する人物たちは普通に考えれば実はとんでもない人たちばかり。
自分たちの恋にかまけていわゆる貞操観念はまるでありません。
大戦後、数年経った解放感かもしれないけど自由すぎる。
そして陽気だ。トランブルー(青列車)は道ならぬ恋を愉しむウキウキワクワク電車です。
そんな中、クロードは〇スい(書きづらい)キャラの最たるもの。
婚約者:フランソワーズに弁解もせずにというか、まったく考えていない。
ジゴロのルイと公平な競争を、などと言っていますが、クロードは婚約している身、ルイも一人の女に身をやつすことはジゴロの道に悖(もと)ることです。
これは序の口で、無責任発言・行動のオンパレード。シャロンの心を射止めたあとも、責任ある行動はない。
ただシャロンとマジョレ湖に行くことだけは決めた、あとのことは考えられない。うーん、これは悲劇しか生まれなさそう。
あれこれ画策してトランブルーの旅をしているカップルたちの方が、おそらく事なきを得るでしょう。
クロードは元軍人で真面目に生きてきたから、ウソにウソを重ねるようなマネはできなかった。
しかし、そのまっすぐな純粋さはある意味残酷だろう。
フランソワーズの心痛はいかばかりだろうか。
シャロンは大人の女性で、そんなまっすぐすぎるクロードを自分の住む世界へ誘ってしまうのは辛い結果にしかならないことを察した。
初めて心から愛し愛された人だったが、「世間知らずの坊や」と突き放し元の世界で生きることを選んだ。
どうしてクロードとシャロンは出会ってしまったのか。
フォンテンブローの森での偶然の出会い。
恋してしまったのだ…
偶然の出会いは人生においてほんの瞬間の出来事で。
「イタリアのマジョレ湖で琥珀色の雨を見ること」ぐらいに普段の生活には起こりえないことだった。
出会ってしまったから。
恋してしまったから。
「琥珀色の雨」を全身に受けて叶わなかった恋の行方を感じていたのかもしれない。
だいきほのコンビ、愛の歓びや切なさ、すべてよかったなあ。
ルイ役の彩凪翔の好演も忘れ難い。
人は弱きもの、その弱きものたちへの愛を描いた作品
清らな空気に誘われて
フォンテンブローの森の中
取り巻きジゴロに囲まれて
万緑叢中紅一点
神秘のベールに包まれし
純粋無垢のその瞳
ああ 我キミに恋せしば
琥珀の色の雨に打たれり
(はぴごろも作:以前クロードの気持ちになって詠んでみた詩)
主人公のクロードはじめ、「こんな人たち」ばかりなのですが、
素晴らしい楽曲と望海風斗・真彩希帆を中心とした雪組の演技のおかげで最後は泣いてしまうのですよね。
強がったり落ち込んだり、恋に嬉々として浮かれたり嫉妬したり、打算的であったり不器用であったり。
人間はそんなに強靭ではない。みなそれぞれ弱さを抱えた儚いものたち。
柴田侑宏先生はそんな弱き者たちに愛の視線を持って描き出したのでは、と思います。
過去に書いた感想もよろしければ~
『琥珀色の雨に濡れて』DVD感想などなど①
『琥珀色の雨にぬれて』DVD感想などなど②~ケンカのあとは~
『琥珀色の雨に濡れて』感想③シャロンとフランソワーズ
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