雪組カラーはなぜ緑?由来は明治時代までさかのぼる⁉




雪組のイメージカラーがなぜ緑色かご存知ですか?

こんにちは、はぴごろもです。

先日ブログの中で、

「雪は白なのに、なぜ雪組カラーは緑なのだろう?」と呟きましたら、ありがたいことに読んでくださった方からコメントにて有力な情報を頂きました。まことにありがとうございます!

「もう一つ組が増えたら」を妄想してみる

該当記事に追記にしようと思いましたが、何日か前の記事ですし、今後疑問に思う方もいらっしゃるかもと考えて、一つの記事にしておこうと思いました。

もしかしたら雪組界隈では常識かもしれないですが、疑問に思った方がスッキリできれば幸いです。

なお、宝塚歌劇団に問い合わせをして確認したわけではありませんので、確実な情報ではありません。

明治時代の天気予報のお知らせが由来だった?

組のカラーを決めるのに、緑色が空いていたから?という私の推測は安直ですしスッキリしません。

頂いた情報によりますと、

明治時代より始まった天気予報は天気をお知らせする方法として旗を掲げていた、ということ。

おお!これは有力情報です!

もう少しネットで調べてみました。

天気予報の始まりは1884年(明治17)年6月1日。

開始当初は予報を東京の交番に掲示するのみでしたが、次第に全国各地の目立つ場所に旗を掲げるようになっていったようです。

こんなふうに色で天気がわかるようになっています。

晴:白い旗
曇:赤い旗
雨:青い旗
雪:緑の旗

さらに色の組み合わせにより「晴れ時々曇り」「雨のち晴れ」などもできます。

三角旗もあり、こちらは風速の予報を知らせます。こちらも色の組み合わせにより「南の風」「北東の風」など表すことができます。

詳しくはこちらの文部科学省のHPで確認できます。

http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/k19761116001/k19761116001.html

この規則は改正はありましたが、廃止はされていないのでなんとまだ有効です。

知らなかったー!

今、旗を掲げられてもなんのことやら意味がわかりませんね。

(2019年12月14日追記:残念ながら文部科学省の該当のページがなくなってしまいました。ということでこの規則も変わった可能性があります。追記終わり)

 

ところで、まだ疑問が残っています。

なぜ雪の予報を緑色にしたのか。

とりあえず雪国で白は「白に白」。視認性が低いのは想像できます。

晴れの日より降雪の注意を喚起する必要性が高く、空いてる緑色にしたのだろうか。(結局空いてる色?)

雪が先か緑が先か?

宝塚は1921年(大正10年)に花組・月組に分割。

宝塚大劇場完成に先立ち1924年(大正13年)雪組が新設されました。

ちなみ星組が新設されたのは1933年です。

花組・月組の色に対して緑からイメージを探して雪組にしたのか、あるいは雪組にしたいから緑色にしたのかどちらかな?

緑色にしたいから天気予報の旗の色のイメージである「雪組」にしたのでしょうか?

そもそもイメージカラーはいつからできたのか、というのもあります。

困っているわけではないので劇団への問い合わせは憚られます。

池田文庫に行って調べればわかるかも…ですね。^_^;

(※池田文庫=阪急電鉄資料と宝塚歌劇に関する資料に民俗芸能資料も加えた特色ある図書館(らしい)。)

おわりに

宝塚にあまり詳しくない私ですが、何か書いていると疑問が沸いたりして調べたり、または今回のように教えて頂くこともあり、世界がちょっとづつ広がって見えることは楽しいです。

感想なども嬉しいです。一人地方でぼちぼち書いていますのでちょっと繋がりがあると励みになりますね。

お読みいただきありがとうございました。

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