毎年6月10日は「時の記念日」です
こんにちは、はぴごろもです。
毎年6月10日は時の記念日。祝日ではありませんが、「日本の記念日」として制定されています。
9日と10日は銀座の時計台はお休みだったそうです。
https://twitter.com/sports_seiko/status/1005647675708997632?s=21
そんな「時の記念日」の由来は、かの有名な天智天皇まで遡ります。制定の経緯などとともに見ていきましょう!
制定の経緯
1920年(大正9年)に生活改善同盟(1920年文部省社会局に開設された組織。文部省の外郭団体)によって制定されました。それまでわりと時間には緩かった日本でしたが、欧米並みに時間を守ろう!と呼びかけました。
生活改善同盟は当時、和洋混合する日本の生活様式を、西洋に倣い合理化することを目指しました。「時間を守る」ということもその一環で、西洋に合わせた先進的で合理的な概念を取り入れたようです。
その後全国各地で関連行事が行われたりして徐々に時間を守ることが浸透していきます。もともと勤勉で規律正しく協調性がある日本の国民性。
「時間を守る」ことで合理的な時間の使い方ができるようになり、ついには世界一時間を守る国として認識されるようになりました。
現在では鉄道や航空機の定時運行が世界一とまで言われるようになりました。他にも各施設の開園、舞台の上演時間、どんな行事もほぼ定刻に始まります。定刻通りでも「大変長らくお待たせいたしました」とアナウンスされるのも日本ならではかもしれません。
由来について
『日本書紀』天智天皇十年四月辛卯条に、
「置漏尅於新臺。始打候時動鐘鼓。始用漏尅。此漏尅者天皇爲皇太子時始親所製造也。云々。」
とあります。
日本で初の時計が鐘をゴーン(カーンかも?)と打った日が現在の暦で言うと6月10日(旧暦だと天智10年4月25日)
だったということです(と言われている)。「漏尅」(ろうこく)は水時計のことであり、水の流れを利用した時計を作ったのですね。
天智天皇は中大兄皇子の時に大化の改新を進めた人物として有名です。
当時、一豪族であった蘇我氏が天皇を蔑ろにして権勢を欲しいままにしていたのですが、乙巳の変(いっしのへん、おっしのへん、おつみのへん)で蘇我氏を滅ぼしました。蘇我氏のみで独占していた権力や富をもとに戻したのですね。日本の歴史における大変大きな出来事でした。(余談ですがWikipediaでは乙巳の変を「クーデター」と書いていますが、身分関係からすると「誅殺」が正しいと思います。)
政治的手腕があった天皇であり、時計を設置したことも国の為を考えてのことだったかもしれませんね。
ちなみに中大兄皇子は宝塚の公演「あかねさす紫」に登場しています。冷酷だが政治的手腕に優れるという人物で描かれています。
中大兄皇子の勧善懲悪の物語があっても面白いのではないかと思っています。
おわりに
時の記念日イベントとして、天智天皇をまつる大津市の近江神宮の漏刻祭(ろうこくさい)が有名です。他にも各地で行事があるでしょう。
6月は「国民の祝日」がないため、この時の記念日を祝日に!という声もあるようですが、今のところは現実に至っておりません。
時はすべての人に平等に流れます。その有限の時間をどう使うのか、またどのように使われているか、ちょっと考えるきっかけになりましたら幸いです。
時には時間にきっちり、時にはゆったりと使い分けたいですね。
普段は当たり前のように定刻に行われている様々なことの裏には、それらに携わる方々の不断の努力があることに、私も思いを馳せたいと思います。
お読みいただきありがとうございました(^^)
コメントを残す