ワールドカップのお話
こんにちは、はぴごろもです。
私はワールドカップ中は、ちょっとにわかサッカーファンになるというありがちなタイプです。
日本は予選リーグのポーランド戦では負けましたが、警告数がポイントになったフェアプレーポイント差で辛くも決勝トーナメントに進出が決まりました。
コロンビアとセネガル戦の状況から、日本チームは最後は徹底したボール回し。ハッキリ言ってしまえば面白い試合ではありません。
これを日本の皆さまはどう捉えたか。
ツイッターを見れば賛否両論の嵐。
翌日会社の人にアンケートしてみましたら批判が大勢でした。
いかがですか?
いろんな意見があり否定はしません。どちらも正解か、もしくは正解はない、ではないかと思います。私は、日本チームはよくぞ耐えているな、と見ていました。
ブーイング、面白みのない試合をワールドカップでしなければならない後ろめたさ、もしセネガルが1点入れればそこで敗退が決まってしまうというリスク。そうなった時の壮絶な批判。
元日本代表の人からも外国からもリスクに対する批判がありました。
監督は後ろ指指され、一生日陰の身となるリスクを孕んでいました。
私だったらとても耐えられない。
「正々堂々責め続け、全身全霊を尽くしましたが負けてすみません。」
でしたら、なんとか顔が立つかもしれない。批判のダメージが少なくすむ方を選んでしまうと思う。
しかし、コロンビア×セネガルの試合状況よりセネガルが点を取れない可能性の方が高いと判断し、日本はリスク回避のプレーに徹しました。イエローカードも、もうもらってはいけない状況ですし。
思い切りプレーしたい気持ちを抑え、批判にも耐え、与えられた任務を遂行したのですね。
どちらがいいですかという話です。
それは西野監督が日本チームを優勝に導く使命を託されていて、それを実現するために必要な戦略だったのだろうと。選手は忠実に指揮官の指令通りの動きをしました。
気持ち良く勝てればそれに越したことはないのですが、そうは簡単にいきません。
ワールドカップの結果が今後の各選手の生命や生活に大きく影響します。サッカーの発展や地元や国の栄誉のためもあります。どこも全力で勝ちを狙います。この勝ちは予選では「戦略で決勝に進む」という意味です。
そんなプレーをしてまで決勝行きは求めていないよ、という人が多くなれば、日本サッカー協会は次回大会からそうする注文を監督にするかもしれない。ないとは思いますが。
そもそもいろいろな戦略を駆使しなければ、ワールドカップ出場そのものが難しい。
また、世界的に見て消極的プレーは興行的によろしくない、となれば将来的にルールが変わるかもしれない。
現状のルールにおいて、目的のために可能性の高い展開を予想した中の「最善の策」を取ったのだと私は感じました。
そう思ううちにふと地震の時の宝塚公演も思い出しました。
スポーツと災害を同時に語るべきではないとは思いますが。
リスクがありながらもそのリスクを抑えようとするとまた他のリスクが出てきてしまう。私だったらビクビクしてしまいゴーが出せません。
結果は何事もなくてなにより。
そのあたりのことは前にも書きましたのでよろしければこちらもお読み下さい。
どちらにしてもリスクはあるし、すべての人が満足する方法はないと思うので、これだと決めた方針で組織として最善を尽くすしかない。
そんなところが似通っていて思い出したのです。
私だったら批判に耐えられず、そもそもなにもできないかと(^^;
切迫した中でリスクを天秤にかけてどちらかに決断し、命令を出す責任者の判断力・統率力・精神力たるや。
いろいろ言う人がいる、ということはそれだけ大きなことにチャレンジしているということ。
各フィールドで夢の続きを見せてくれる、サッカーでは選手、宝塚ではタカラジェンヌに感謝の気持ちを込めて書いてみました。
お読みいただきありがとうございました。
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