2017年に宝塚を退団されてから3年あまり。
これまで咲妃みゆさんのインタビュー記事はなるべく読んできましたが、
この記事はとりわけ興味深く読ませて頂きましたのでご紹介と、感想やゆうみさんへの思いなどを書こうと思います。
こちら、ぜひお読みくださいませ。
ミュージカル『NINE』出演の咲妃みゆ、その女優としての魅力に迫る
ちなみにインタビュアーは舞台評論家の藤本真由さんです。舞台で活躍する宝塚のOGのインタビューも数多くされています。
藤本さんは宝塚時代のゆうみさんも取材をしていらっしゃる方なので、お話しやすかったかもしれません。
ブロードウェイ・ミュージカル『NINE』のためのインタビューですが、記事後半では在団していたころの心境も打ち明けています。
「没入」か「俯瞰」か
ゆうみさんはよく「憑依型」と評されることがあります。
私も野々すみ花さんと咲妃みゆさんには憑依型として北島マヤ(「ガラスの仮面)」的な印象を持っていました。
ゆうみさんご本人によると「自分が自分じゃない!」となる瞬間は数えるほどしかないのだそう。
でも逆に言えば、そのような極めて特殊とも言える状態が数えるほどある、というのはやはりすごいと思います。
ということは、多くはその近くまでの状態である、ということかと。
もちろん、役を極めることを追求しつつも、役に没入した状態が必ずしも正解ではないことをゆうみさんは胸に留めていて、
「いただくお言葉と自分自身の把握している現状が一致しない」ということを自認しています。
私などはどちらにしろゆうみさんについては、もうただただすごいなあと感心しきりですが、プロレベルでは細かくいろいろあるようです。
アドバイスされるそれぞれの専門家や諸先輩もいろんな方がいらっしゃるでしょうし。
目指すところも違えば、アプローチの仕方も違う。
それがゆうみさんにとっても目指すべきところなのか、アプローチの手法は適切なのか、などあるかもしれません。
数学のようにはっきりとした正解のない「表現者」としての道は遠く、果てしないのだなあと感じました。
ちぎみゆコンビについて
「憑依型」ではなく「俯瞰」できていたのが相手役の早霧せいなさんなのだそう。
早霧せいなさんは非常に聡明で、着実に繊細なところまで役を作り上げている印象があります。
俯瞰できる、というのも頷けます。
舞台において「憑依」と「俯瞰」は対照的に思えます。
そうであるとすると、咲妃みゆさんと早霧せいなさんとはかなり違ったタイプの役者さんと言えます。
しかし「同じタイプだから即ち合う」のではなく、違うタイプだからうまくマッチところもあるし、苦労するだろうけど、そうして作り出せたものは非常に舞台に彩りを与えたのではないかと思うのです。
思えば娘役のトップスターになる人は、男役トップスターより2倍も3倍も速いスピードでトップになる事が多い。
時間が凝縮している分、あらゆるところで苦労があったのではないかと思います。
在団時は、演出家や相手役ほかアドバイスされる方々の言葉を実行したい一心だったとのこと。
その言葉で自分が構築されて肝心の「自分」がなく、芯がからっぽの状態もあったのだそう。
「バランスを崩したこともある」とのことで、精神的に厳しい状態の時があったようです。
そんなシャットダウンしそうになった寸前で、「貝に閉じこもらないで!」
というちぎさんの言葉があり、なんとか助けられ舞台を務めて来られたのだと。
貝のように殻に閉じこもらないで、かもしれませんが、いずれにしろゆうみさんがもう少しで閉ざそうとしていた扉を再び開けることができたのですね。
よかった…
ほかのインタビューでもゆうみさんはちぎさんのことを「指針」と仰っていたことがあります。
宝塚から外に出て自分自身で切り拓いていかなければならないときも、
その時の助言の数々は、きっといつまでもゆうみさんを支えてくれるのではないかなあと思います。
お客は「ジャッジ」ではなく「楽しむために」
昨年、ニューヨークで舞台を観て感じたことを語っています。
「あ、お客様って、楽しむために来てくださっているんだ」
当たり前と言えば当たり前。
ですが、それまではどこか、舞台は評価される場、あるいはジャッジを受ける場と思ってしまっていたところがあったそう。
たしかに評論家や評論好きなファンもいるでしょうが、多くは純粋に”楽しむ”ために観劇に来ているのでしょう。
特定のご贔屓がいたり、満遍なく宝塚の舞台が好きだったり、楽しむポイントは人それぞれでしょうけど。
礼儀作法が重んじられる日本の舞台、その中でも宝塚はとりわけ「清く正しく美しく」の世界。
ゆうみさんは常に自分を律し、一心に舞台を務めてこられたのだと感じた一面でした。
その間、自分の劇団に対する不満や希望など、本当にまったくなかったようで、
年1回の個人面談の際、「雇ってくださってありがとうございます」と毎年同じ回答を繰り返したのだとか。
自分の感情は二の次、というより、自分の個人的な意思はないに近かったかもしれません。
可能な限り宝塚のために尽くしてきて、お客の幸せが自身の幸せに繋がっていたのだなあと。ゆうみさんの言葉の通りなのだと思います。
ある意味「自我を押し殺して過ごしていました」というのがちょっと衝撃でしたが、そのくらい真面目なお方なのだと思います。
退団から3年経ち、ようやくお話できたそうで、そのあたりも本当にゆうみさん…ええ子やなあ。好き…とあらためて思いました。
「本当?」「あ、本当だった」
私は初めてゆうみさんを認識したのはトップになってからです。
ちぎみゆが大人気になったときに私も目がハートになりました。
これが見る人によっては夫婦ごっこであり、ゆうみさんのことを「ぶりっ子」(なんか書くのが恥ずかしいなこの言葉)と捉えたかもしれませんが、私にはとても自然に思えたのですね。
そもそも男の役を女が演じている宝塚の表現の中で「自然」というとおかしいかもしれませんが、
ちぎさんもゆうみさんも”ちぎみゆ芸”とか”寄り添い芸”とかの夫婦萌えプロデュースをしていたのではなくて、ちぎさんもゆうみさんも宝塚の芸に懸命であった結果だと思うのです。
劇団の企画として萌え的なものもあったかとは思いますし、そもそも演目がコンビの恋愛物語だから、コンビの雰囲気も手伝ってそう見えやすいところはあると思うのですが。
でも打算的なものではなく、誠心誠意、宝塚トップコンビとして、雪組を引っ張って届けようとしたものがあったと思います。
ゆうみさんは娘役としてこうありたい、というのはあっても、その娘役像を作っていたわけではないとこたえています。
あの愛くるしい天使のようなキャラが、そのまま嘘偽りのないもともとの”ゆうみさんご本人”ということです。
私もそのような人と現実に出会ったら、にわかに信じられないかもしれないですけど。
ゆうみさんは下級生のころから、「本当?」「本当のゆうみちゃんなの?」と言われることが非常に多かったのだそう。
お稽古場だろうと休憩時間だろうと、プライベートな時間だろうと、フェアリーのタカラジェンヌですら疑ってしまうほどの天使ぶりなのだろうと思います。
そしてある程度ゆうみさんのことがわかってくると、皆さま口を揃えて
「あ、本当だった」となるのだそう。
これは音楽学校時代にゆうみさんと同室だった、和希そらさんが、
「こんな女の子らしい可愛い子っているの!?こんな人いるわけない!って思ったんですけど、年中それでしたー!」(オシエテトーク・たしかグラフか歌劇でも読んだような…)
と仰っていますし、望海さんでさえも「本当にこんな人いるなんて…」(カフェブレ)となったそうですし、本当に多くの方に言われたようです。
でも疑ってしまう気持ちはわかります。
こんな裏のない天使のような人が本当に実在するなんて…ですものね。
それはゆうみさん生来の気質であり、幼い頃野山を駆け回ったり、厳しくも愛情たっぷりに育てたご両親や大好きな妹さんの影響であったり、ディズニーやジブリ作品の影響であったり。
可愛い風貌可愛い性格、プラス謙虚であり真面目であり努力家であり。そして常にリスペクトや感謝を忘れない心がゆうみさんを形成しているのだと思います。
「突出したくない」
「変わってるね」「不思議な子」と言われることが悪口に思えて傷ついてしまっていたという下級生の頃のお話は、時を経た今でもズシッと来ました。
咲妃みゆさんは96期。
私はこれまで書いたことはなかったのですが、この期は騒動になった期です。
直接関係ないと言えばそうですが、
96期としてゆうみさんは想像以上に、求められる以上に、重い連帯的な責任を感じて、自我をころしてまで自分に厳しく必至であったのかなあと思うと…
天賦の才と努力の積み重ねが実を結び、風を吹かせましたが、
まだまだあったであろう逆風を思うと…
ちょっと言葉にするのは難しいです。
下級生の頃、「突出したくない」という思いがとても強かったのも、僭越ながらほんの少しわかるような気がします。
「良くも悪くも嘘がつけません」
ゆうみさんは自分のことを「不器用」と表現することがあります。
芸に関していやいやそんなことは、と思うのですが、
「良くも悪くも嘘がつけません」というところがそうなのかも。
それが欠点であり長所でもあり。
どの役に対しても正面から真剣に向き合うことしかできない。
うまく取り繕ったり、打算的なことができない人だと思います。
根っからの天使の性格だから、作って「かわいこぶっている」わけでもないし、
“咲妃みゆ”を「天使かわいこちゃんキャラで売っていく」とかいうプロデュース力でも決してないと思うのです。
“ちぎみゆ”としても同じだと思います。
完全無欠の夫婦像を演じていたわけではなく、お稽古では喧嘩したり(ちぎさん談)、まあいろいろ、理想とするところを求めて試行錯誤の毎日だったのだろうなあと。
その苦労を重ねた結果がコンビの魅力に繋がったと思います。時にはおもしろエピソードにもなって、いつの間にやら夫婦漫才的な魅力も加わりました。
ゆうみさんは、
「作りこめたらどんなに楽かな」「ごまかしがきかないタイプ」と言います。
だから苦労するのだけれど、またそれがゆうみさんらしいし、ゆうみさんらしくこれからも輝き続けていく道なのだろうなあと。
最近、映画「窮鼠はチーズの夢を見る」の行定勲監督が、主人公の妻:知佳子役で出演したゆうみさんの印象を語っていたのですが、
非常に「実直である」と。
監督のわりとざっくりとしたゆるい指示にも都度「はいっ!」「はいっ!」と応えていたそうで、かなり想像できます。こうしたちょっとした話からでもゆうみさんの実直さや真面目さを窺い知ることができます。
私はゆうみさんのことを知ったときから、疑うことなくもともと天使みたいな人なのだろう、と確信していたのですが、近くにいて確認するすべはないので、こうしてご本人から「本当」と語ってくださってうれしかったです。
退団から3年。
必至にもがいた在団時の自分も、そのころに言われた言葉も今はすべて好意的に捉えられ、少しづつ語れるようになったゆうみさん。
これからもお元気で。ますますのご活躍をお祈りしています。(お手紙かい)
長くなりましたが、お読みくださりありがとうございました。
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