今まで言葉にもできなかった。
特別、追っかけていたわけでもないのに。
何においても言えることだが、書いていないイコール関心がないわけではない。
人それぞれの理由がある。
なるべく心の平静を保つために、自分なりに情報を制限していた。
しかし、何日か経ち、ついこの記事のタイトルに惹かれて読んでみた。
「僕はこの産業は、とても血の通った仕事だと自負しています。」三浦春馬が最後の舞台公演で語ったこと(文春オンライン)
彼の生について書かれた記事は、今まで情報にも触れられず一部分だけ固まっていた心を静かに融かしてくれた。
まだまだ若いのになんというお人柄だろう。
そして記事には、三浦春馬さんは”千秋楽”の舞台挨拶において、演劇を”産業“と表現したとある。文化や芸術ではなく。
彼は4年間、日本の47都道府県の産業に触れて、その軌跡は『日本製』に著された。408ページにも及ぶ超大作だそうだ。
読んでみたいと思って探したが、楽天では現在注文できず、amazonでは値段が高騰している。電子版は今のところない。
※7月27日追記:「日本製」が重版決まったそうです!
三浦春馬さん著書『日本製』の重版が決定 売上の一部はラオス小児病院へ寄付 https://t.co/8KJd2jLiKT pic.twitter.com/lvih8T2WCl
— SPICE[舞台情報メディア]/e+ (@spice_stage) July 27, 2020
「三浦春馬は自分の信じる演劇を、製造業や建設業といった他の産業と同じ、貴賎のない仕事の一つとして語ろうとしていた。 」
と記事にある。
全国各地の産業に関わることで、ずっと「演じることの意味」を探していたと。
演劇も”産業”と表現したことは大きいと思う。
それぞれ個人個人必要な度合いの差はあれど、必要不可欠に近い人も多くいるだろう。
コロナ禍が戦時中だとしたら、戦い続けるのにも無理が生じる。
人間だから。
この状況はまだ終わりがまだみえない。
本当の正解もまだわからない。
「この産業を血の通った仕事と自負している」
いろんな産業があって、複雑に繋がり社会は維持されて発展している。
演劇もその産業のひとつでありたい、そうであると信じている、そんな自負を感じた記事だった。
過去、劇作家であり演出家の平田オリザ氏のインタビューで、私はずっと引っかかっていたものがあった。
製造業の場合は、景気が回復してきたら増産してたくさん作ってたくさん売ればいいですよね。でも私たちはそうはいかないんです。客席には数が限られてますから。製造業の場合は、景気が良くなったらたくさんものを作って売ればある程度損失は回復できる。でも私たちはそうはいかない。製造業の支援とは違うスタイルの支援が必要になってきている。観光業も同じですよね。部屋数が決まっているから、コロナ危機から回復したら儲ければいいじゃないかというわけにはいかないんです。批判をするつもりはないですけれども、そういった形のないもの、ソフトを扱う産業に対する支援というのは、まだちょっと行政が慣れていないなと感じます。
(「文化を守るために寛容さを」劇作家 平田オリザさん )
製造業の超一端にいる私も、えっ…となった。
他の産業をそんな形で出さなくても…しかも製造業だってそんな単純な話ではないのに。
演劇界を応援したいが製造業が軽く見られているようで、あまり良い気分ではなかった。
悪気がないのはわかる。
が、支援を必要としている演劇界のための、その表現はどうなのだろう?と。
ちなみに平田氏は民主党政権の時の「コンクリートから人へ」政策のブレーンの人。
すべてがこの政策のせいとまでは思わないが、熊本などの大規模災害でもダムがあればここまでの被害は起きなかったかもしれないと思うと、なんとも言えない気持ちだった。八ッ場ダムの時も本当にギリギリだったという。
平時は無駄に思えるものが、実は必要なものだったということは、非常時になってわかるもの。
それこそ、演劇だって多くの人にとってそうかもしれない。不要な娯楽ではなく、必要な娯楽。
どの産業も尊いものばかり。
だから演劇界の重鎮が(無意識に)一方を下げて演劇を語ることを、とても残念に思っていたのだ。(製造業は一例で他にもいくつかある)
(私も結果的に矛盾してしまい申し訳ない)
三浦春馬さんはその時のわだかまりを一気に払拭してくれた。
こうなったから舞台挨拶の内容が世に出てきたともいえる。
三浦春馬さんのことを簡単に残念、とは関わりの薄い私には言えない。
ただ演劇(ほぼ宝塚だが)を愛するものとして、産業の一端にいるものとして、
彼の功績と彼の”演劇を信じる“という言葉を重く心に留めたいと思う。
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