雪組『誠の群像』DVD感想~土方歳三が最後まで守ったものとは~




『誠の群像』DVDを観ました

こんにちは、はぴごろもです。

雪組全国ツアー公演『誠の群像』DVDを観ました。

だいきほトップ体制になり初めての和物になります。

今回は感想など書いていこうと思います。

雪組の芝居に感化され、ここから先は文体をピシッとした感じ(自分のブログ比(^^;)に変えていきたいと思います。

では~。

土方歳三(望海風斗)

望海風斗の和装が凛として、登場するだけで静謐でありながら一本筋の入ったような空気に包まれる。

着こなし、所作、武士の佇まい。無駄口は叩かない武士らしく、台詞だけでなく在りようで土方の存在感を示せるのはさすがだ。

特筆すべきは、眼だ。覚悟の据わった眼。

その眼は決して未来への希望に輝いてはいない。剣術だけではなく頭も切れた彼ならば、実は勝海舟のように時代の大局が見えていたのではないか。自分のような旧型の武士は不要になり、この国は全体で列強に対抗していくであろうことを。

時代が見えていながらも、彼が戦い続けたことはどのような意味があるのだろうか。

彼にとっては戦いの意味や結果よりも、重んじていたものがあるのではないか。現代ならば、当然戦いに意味や結果は重要であり、それがすべてだ。

時代がどんなに動こうとも、武士である彼は忠義に生きるのみ。一度幕府に忠誠を誓わば二度と翻すことはない。「武士とはそういうもの」「忠義を誓った君主に侍(さぶら)うもの」でしかない。

それは彼のまとめる新撰組にも同じように求めた。鉄の掟、「局中法度」を布き、烏合の衆に過ぎなかった新撰組に厳しい規律を守らせた。

裏切りや逃亡は武士としてのケジメをつけなければならない。

冷徹に粛々と切腹を命じる「鬼の副長」と言われた土方の姿がそこにあった。

しかし、彼は本当に鬼だったのか。

「鬼ならば、裸足で歩けばいい」と言われて本当の鬼は裸足で歩くだろうか。

人の苦しむ声が耳について離れないところは、彼が冷徹ではない、鬼ではないことを物語る。

武士にとって命より重い「忠義を尽くす」こと。これを遂行するために、妨げであるのは「人の心」だ。心を殺すために「鬼」である必要があったのではないだろうか。

江戸時代になりおおむね平和な時が260年も続き多くの文化が花開いた。時代が時代ならば、土方も花を愛で、俳諧を嗜み、風雅な時を過ごしていたのではないか。時代の流れと自分の立場によりやむなく鬼にならなければならなかったのだ。

「鬼のシーン」はまさに土方の「鬼」を体現したものであり、あの迫力がそのまま鬼として生きる意志を感じさせた。

そうした中でも物語が破滅だけではなく、ちょっとしたところで見せる彼の素朴な人柄は、望海風斗のわずかな表情の変化から窺い知ることができる。

彼が鬼だけではなく、花や歌を愛で、人情を感じさせる一面があることは、今日でも土方歳三が多くの人に愛されるところなのだろう。

お小夜(真彩希帆)

真彩希帆演じるお小夜も所作や台詞回しが良く、「鬼」だけではない土方との刹那の愛を描いた。

病に臥せった母を助けたいが、名のない刀を「虎徹」として売るのも心苦しい。結局、一刻を争う母の病状にやむなく質屋の勧める通り無名の刀を25両で売り払うが、正直者であるがゆえに良心の呵責に悩まされる。

この時代の女の立場の弱さ。そうした中でも自分の人生をなんとか生きようとする意志の高さは、そうした武家の娘として育ったからだろう。

忠義の為に確実に死に向かう土方に食らいつき、せめて二晩狂うことを懇願する。

人生においてわずかな瞬間だけでも、この世に生きた証、女として愛し愛される喜びを心と体に刻むことができた。ハッピーエンドではないが、土方の死後も彼に思いを馳せ、冷徹な顔の奥底に秘めた彼の内を知るものとして、在りし日を語るお小夜の表情により、物語は穏やかなものとして幕を下ろすことができた。

「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」

『葉隠』(はがくれ)で有名な一文、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という言葉があります。

忠義のためには死を厭わないとすることを武士道精神と解釈されがちですが、真意はちがうようです。

自己の利害を考えてしまうと大きな目的を損なう。自分の欲を捨てて、すなわち自分は死んだもの同然として忠義を尽くすことで任務が遂行できる、といったことなのだそう。「滅私奉公」が近いかと思います。

実際武士であるため死が隣り合わせ。土方は「死」をいつも意識しているからこそ、反対に「生」が尊いものであることを知っていたのでは。

しかし武士であるからその上に「忠誠」、「まこと」がある。鬼として生きなければならなかった土方と土方を取り巻く者たち。

山南敬助/榎本武揚の二役演じる彩風咲奈は、短い切り替えで難しいがそれぞれの生き方、人情を演じ分け、芝居に厚みを持たせた。

山南は人との調整役に長け、人として信頼された。新撰組で「極楽浄土に行ける唯一の人」を好演し、土方や沖田の悲しみを浮き立たせた。

榎本として登場した時は柔和な表情は消え、新政府側との対決姿勢を鮮明にした。

勝海舟役の彩凪翔は、大局を見極め、次代を拓いていくものとして、大きな人物を演じた。べらんめえ口調が独特のキャラを生み、新撰組とは異なるスタンスを漂わせた。

近藤勇演じる奏乃はるとは、情に厚い人物を演じることで芝居にリズムを付け、土方の冷静沈着であり冷徹さを際立たせた。

沖田総司役の綾凰華は、少年のあどけなさが残る心優しい沖田を演じた。土方が惚れた女(お小夜)のことを言えるのは彼にだけ。若いながらも土方にとって人として話せる同志だった。

彼もまたこの時代でなければ命長らえたかもしれないと、惜しまれる人物像を描き出した。

八重役の千風カレンは近藤の乳母として芝居に明るさを出してくれた。歌だけでなく芝居もとてもうまく幕末の世界に引き付けてくれる。新撰組も人の子なのだとクスっと笑える場面があるのが嬉しい。人は始めから誰一人として鬼として生まれたわけではない。みな必死に乳を飲むだけの赤子だったことを気付かせてくれる。

辞世の句より

土方歳三と幕末という激動の時代を生きた人々。それぞれにそれぞれの「生き方」があり、土方は武士の終焉とともに最後まで武士としての「誠」を尽くす生き方が、多くの人の胸を打つものがあったのでは。

彼の辞世の句として伝えられる歌があります。

たとえ身は蝦夷の島根に朽つるとも 魂は東(あずま)の君やまもらむ

すでに徳川もないのだが、一度誓ったことは絶対に変えない。 北の大地に命を散らしてもなお、魂を君主に捧げた。

またこんな句も遺しました。

鉾(ほこ)とりて月見るごとにおもふ哉(かな)あすはかばねの上に照かと

自分が明日にでも屍(かばね)になることを知っている。忠義と死は隣り合わせ。陽に当たることは二度とない。誠のために生き、ここが死地だと悟っていたのだろうか。

「男子の一言金鉄の如し」を地で行く土方の生き方。

望海風斗をはじめとするの幕末の武士姿と生き様を堪能できる作品であったと感じました。

今回はこちらから書きました。

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長文になりましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました!

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