『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』も大好きな作品になりました。先日円盤を観ていて、ふと思ったことあれこれをつらつら書いてみようと思います。
衣装部さんの本気!&真彩さんの風格!
デボラのショーの衣装には度肝を抜かれた。大階段いっぱいの艶やかなお衣装。アメリカだからこれくらい突き抜けているのは気持ちいい。娘役たちもキラキラだ。デカイ衣装だからといって決して大味な衣装にはならず、縫製が非常に細かなところまで行き届いているであろうところに衣装部さんの職人魂を感じる。このシーンの衣装を作るだけでいったいどれほどの工数が掛かっているのだろう。
衣装の取り扱いにも技術が要るだろうし、あのフォーメーションを取るのにどのような練習をされたのかな、稽古場ではイメージもしくは何かの布を使ったのだろうか。
そんな繊細かつゴージャスなお衣装なのだが、ステージの真ん中の真彩希帆さんが一人でしっかりと立ち、歌と風格で魅せてくれる。だからこれだけの衣装にも埋もれてしまうことなく、ショービジネスの勝利者としてのオーラを存分に発揮してくる。観衆を惹きつけてやまないデボラの魅力に説得力を感じた。
また、作品全体を通してさまざまなシーンにマッチした衣装を用意した衣装部さんに敬意を評したい。女は可愛い、セクシー、ゴージャスが盛りだくさん。男は可愛い(少年期)、クール、ダンディーな奴らがニューヨークの闇を走り抜ける。この衣装の充実度も宝塚ならではだ。
ヌードルスのスーツがピッタリで嬉しい!ボロから最高級に変身!
ヌードルス(望海風斗)が出所するにあたり、事前にマックス(彩風咲奈)たちが最高のスーツを仕立て届けていた。ほんとにぴったり!イケメン!
ボロ雑巾のような服から最高のスーツに身を纏う。これでもう、ゴ○ブリなんて言うものは誰もいないね。生まれ変わったような高揚した心持ちだったかな、ヌードルス。
自分でも体のサイズの細かいところまでは、なかなかわからないのに(牢獄だし)よくぞ。マックスたちが面会の時に、刑務官に金を握らせて腕利きの仕立て屋さんを連れてきて、目測で測ってもらったか、採寸させてもらったのだろうか。
なんにしろ、おあつらえのジャストサイズで、ヌードルスが嬉しそう。それまではかっぱらってきたようなサイズの合わないホコリまみれのダボダボ服だったからね。そりゃウキウキだ!7年のお務めでヌードルスもハクが付いている。ヌードルスが少年から青年に成長し、精悍な顔つきになっているのがたまらない。
マックス、コックアイ(真那春人)、パッツィー(縣千)の服の色合いは落ち着いた紺色系に押さえて、あえてヌードルスが映えるような色をチョイス。出所後すぐにデボラとも再会する手筈を整えてくれているのだ。仲間たちの心憎い演出ではないか!
とりわけマックスは少年期、デボラに憧れていたわけだが、これが仮にショボい友情だったら彼女にちょっかい出していたかもしれない。
少年期のマックスは、ヌードルスの為にデボラに送るつもりだったプレゼントを引っ込めたが、7年後はなんとさらに二人の恋の御膳立てをしてみせた。なんという友情だろうか。
そういえば、マックスの最期もヌードルスとデボラが再会した時だったな…デボラを愛人にしてしまっていたが…その選択もやむなしだったか…
とんでもなくぶっ飛んだヤツだったけど、それでもヌードルスとの友情に関してはなんら、1ミリもブレることはなかったのだな。きっと。マックスにとっては確信を持てる唯一のものだったかも。
咲ちゃんマックス、サイコーだった。
ヌードルスにとっては友情と愛情の間に葛藤することになるが、どちらの感情も本物。愛が成就しなくても友人を失うことになっても、迷いを抱きながら生きてゆく。最後に残るのはわずかな幸せを感じることができる自分の感情。ヌードルスという生き方はひと言では表現し難い。それがヌードルス。
朝美絢、地獄の魔女っぷりに土下座!
あーさ(朝美絢)のキャロルがこれほどまでとは!せり上がり大迫力で歌い踊るその姿は地獄の魔女そのもの。平民はただひれ伏すのみ。闇に生きる選ばれし俗物のみが、その底なしの甘美な魔力に酔いしれるのだろう。そんなキャロルを2度も平手打ちするマックスよ、いやん。アナタあとで一人で泣くことになるんじゃないか(笑)。
前にも書いた気がするけど、あーさの大腿四頭筋がそれはもう素晴らしくて。最後のキメポーズのところ、筋肉のカットがしっかり出ていて毎度見とれてしまう。”魔女”といえども日頃の鍛錬は欠かさない。見えないところでコツコツ稽古を重ねているのだろう。天国でも地獄でも(地上でも)、舞台の真ん中に立つ人はやはり才能ある素晴らしい努力家だ。
ちなみにあーさキャロルは舞台人としてだけの能力だけではない。マックスの無謀な計画をやめるよう、彼のキレる性分を知りつつ果敢に彼を説得しようとする勇気がある。それでも止められないとわかれば、別の案を持って今度はヌードルスを説得する。
彼女は実にクレバーな女性である。マックスを愛してしまったこと以外は。
時代が時代ならば表舞台のショービジネスでも大いに活躍したことだろう。
高級娼婦でも安売り発言してしまうヌードルスのカッコ良さ
ペギー(愛すみれ)やタチアナ(野々花ひまり)は高級娼婦の部類だろう。本来なら「いつでも空けるわ」など言わずに自分に常に高値をつけておくことが高級娼婦たる価値ではなかろうか。
そんな彼女たちも久々に現れた超絶かっこいいヌードルスを前にすると、我先にと安売りバーゲンセール発言をしてしまう。
存在が罪深いヌードルス。でも仕方ないよね。かっこいいんだもの。
アヘン:舞台では錯乱、映画では満面の笑み
友情も愛情も破壊され、傷ついたヌードルスは阿片窟に出入りする。
宝塚版では過去のトラウマが幻覚となりヌードルスを襲う。一方、映画版ではこれ以上にない笑みを浮かべる。この意味はなんだろう。映画版はしばらく前に2度観ただけなので、有識者の方々の解説が欲しい。
だが一応自分なりに考えてみよう。でも書いていると収拾がつかなくなるので今回はここで一旦終わりにします。また次回に続きます(予定)。
お読み頂きありがとうございました~!
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