さまざまな社会の軋みを浮き彫りにする作品
『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』には、さまざまな対比を感じる。
社会の軋みを浮き彫りにし、登場人物の哀歓を写す。
ちょっと挙げてみよう。
天と地
光と陰
表と裏
男と女
出会いと別れ
天国と地獄
天使と悪魔
憧れと妬み
信頼と裏切り
信仰と不信仰
勝利と敗北
変化と不変
孤独と愛
善と悪
富と貧
幸と不幸
夢と現実
少年と大人
栄華と没落
記憶と忘却
時の凍結と解凍…
などなど。
時代と時代のはざま、陽の当たる道を求めながら裏街道を進まざるをえなかったヌードルス(望海風斗)。
これらのことが軋みとなり確執となり、愛と友情とに悩み苦しんだ。
望海風斗がこれまで培ってきた男役の美学の結晶を正面から、そして端々にまで感じることができる作品だと思う。
ダビデの星のもとに映る影
マックス(彩風咲奈)が無謀な連邦準備銀行襲撃の計画を立てたとき、ヌードルスはキャロル(朝美絢)から警察へ密告するように懇願された。
ヌードルスは友を救うために、友を裏切るべきか否か迷い、暗闇の中、初めてダビデの星に問うた。
ダビデの星はヌードルスに何を示していたのだろうか。
六芒星のもとに映る、影に注目したい。
その影…
上下逆さのヌードルスではないか!
ヌードルスの影、頭の方が下になっている。
おおおっ!なんと…
今頃気がついた…
(※該当映像は著作権の関係で掲載しませんので、気になった方は円盤などでご確認お願いします。)
タロットカード「吊るされた男」を思い出す
この逆さの陰は、タロットカード12番目「吊るされた男」のようでもあり、恐ろしい未来を暗示するかのよう。
とは言ってもタロットの世界は詳しくないので、意味を調べてみると、
正位置・・・自己犠牲。自己放棄。試練。修行。難行。殉教者。幽界(潜在意識の世界)からの導き。身動きのとれない状況。服従。復活。再生。心の柔軟性。逆位置・・・我欲のとりこ。わがまま。自己主張がすぎる。つかみ難い態度や状況。敗北に導く精神的葛藤。(「カードの履歴」HPより引用)
「自己犠牲、試練、身動きの取れない状況。。。」
正位置(本来の意味)だと、なんだかヌードルスがまさに陥っている状況なのでは…
「我欲のとりこ。わがまま。自己主張がすぎる。」
逆位置(別の捉え方をしたもの)だと、まさにマックスのようではないか。
ウィキペディアにはこんな説明もある。
イタリアの古いタロットカードの中には、この逆さ吊りの人物に金の入った袋を持たせ「反逆者」というタイトルをつけるものもある。即ち「ユダ」である。
反逆者とされるユダであると!おおう!
望海さんの感情の高まる歌声と相まってゾクゾクしてくる。
この上下が逆になった影は、どのように映しているのだろうか?
光源は客席側からで、望海さんの背中を照らし…どこで逆に?
教えて欲しい。ダビデの星よ、いや照明に詳しい人よ。
連邦準備銀行が爆破され、仲間3人が命を落としたあと(マックスはなんとか逃れたが)、ヌードルスが「これが神が与えた試練なのか!」と歌い嘆くシーンがある。
そのときもやはり六芒星が天にあり、その下にヌードルスの不吉な影が映し出されている。
ううむ、恐ろしい。この演出。
「裏口から失礼するよ」
密告、放置、その他ヌードルスの選択はどれが正しかったのか…、
いや、この裏街道を進まざるを得なかった時点で、どちらにせよ運命は決まっていたのか。
人生とはわからないものだ。
だからこそ、行く末が気になり、見つめていたくなる。(カッコいいし)
スキャンダルにまみれたマックスに銃を置いて「裏口から失礼するよ」と立ち去ったジミー(彩凪翔)。
友情の証として銃を受け取らずに、やはり裏口から出て行ったヌードルス。
どちらも裏に去っていったのだ。
一般人から見聞きする出来事は、ほぼ表舞台だけ。真実のほんの一部である。
もしかすると、ベイリー長官やジミーの表の顔のように、真実に見えるものはすべて虚像なのかもしれない。
ヌードルスは銃を受け取らないことが友情と言う。
ヌードルスとマックス。同じ夢を見ながら、それぞれ違う場所に辿り着いた二人の「友情の証」は、「はい、助けますよ」的な単純なものではないと思う。
それでもよい未来を願い、希望を持ちたい
タロットの話に戻るが、「吊るされた男」カードには良い解釈もあるそう。
「吊された場所は処刑場ではなく、生命の息吹を感じさせる物として芽吹いているタウ十字に模された木々のため、吊された人物自身も何らかの希望を持っており、それを見出すために瞑想している」
影が逆さだから必ずしも不吉、というばかりではないということか。
現実の今の社会にも、すべてが悪いことではなく、よいことも見いだしたいものだ。
貧困に苦しみ、人を殺め、牢獄で過ごし、友を裏切り、愛は成就しなかった。
ヌードルスの人生を端的に書いてしまうと、なんてひどい人生なのだ、と思わずにはいられない。
しかし、すべてが悪い記憶で覆われているわけではなかった。
少年の頃、友と過ごした怖いもの知らずのイケイケ時代。デボラとのささやかな愛、共に描いた未来の希望。
ヌードルスが壮年になり世の中すべてが変わっても、それらの記憶だけは変わらない。
大切な記憶を胸に、ささやかな花束くらいの幸せを、壮年になっても静かに噛みしめることができたのだろうか。
ヌードルス、デボラ、マックス…舞台を生きた雪組の皆さまを通して、当時の彼らたちに想いを馳せたことだった。
お読み頂きありがとうございました。
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