朝美絢ファルコ「ヴィットリオのために」考(はばたけ黄金の翼よ)




ラブストーリーに深みを与えたファルコの苦悩

9年ぶりに観劇をしまして前回はウキウキ気分を書きましたが、今回は朝美絢ファルコについて書いてみようと思います。

原作は少女マンガ「風のゆくえ」です。観劇前に原作を読んでみましたところ、中世イタリアを舞台にしたロマンチックなラブストーリーで面白かったです。ヴィットリオとクラリーチェもそれぞれ好きなのですが、加えてファルコが好きになりました。

原作ありの舞台化には時間の制約があるので、そうすると忙しかったりエピソードがサラッと終わってしまったりといったことがあるやもと思うのですが、今回観劇してみて満足しかありませんでした。そりゃ脚本のツッコミどころはあるけど、そうなったことにもきっと事情があるだろうからあまり拘らない。トータルしてすべてが愛おしい。宝塚的かっこ良さに酔いしれました。全国ツアーを雪組の皆様スタッフの皆様、感動の舞台をありがとうございます。

さてさて、物語は主人公ヴィットリオと原作での主人公クラリーチェとのハッピーエンドのラブストーリー。その影で苦悩したファルコ。彼はストーリーに深みを与えることに大きく寄与した人物だと思う。それを体現した朝美絢ファルコの心情にちょっとでも迫りたいなあと思いまして。以下、文体を変えますね。

ヴィットリオ、敵国のクラリーチェを愛す

群雄割拠する中世イタリアは強者が弱者を駆逐あるいは支配する時代であった。イルラーゴの国王ヴィットリオは他国と干戈を交えながら一番強い男として君臨する。当主がヴィットリオの手により暗殺され、形勢不利となった隣国のカンポ家の娘であるクラリーチェは圧倒的に弱い立場。兄カンポ公の甘言と懇願に不本意ながらも人質の意味合いでヴィットリオの妻となる。婚姻は成立したが、二人の立場は天と地ほどの差があった。

しかし絶対権力を前に個を失うことを断固拒否するクラリーチェ。これは世間知らずという面はあっても単にわがままということではないだろう。彼女は父カンポ公と公妃の間に産まれたわけではなく妾から産まれている。国王たる父の実子でありながら、ただの一度も会えない。自分だけでも自分を認めてあげることができなければどうしてこれまで生きることができただろう。クラリーチェの個人の強さは生きる為にそうならざるを得なかったものではないかと思う。命を引き換えにしても自身の尊厳を守ろうとする意志は行動に繋がり強さとなった。

人生を切り拓いていこうとする、意志を持つ女に興味を持ったのか、ヴィットリオははじめ彼女のことを利用できる駒であると腹心ファルコに言い聞かせる。もしかしたら自分自身にも言い聞かせていたかもしれない。女を愛してしまうリスクは百も承知だっただろうが、好きになってしまう気持ちは止めようがないものだ。権力者として傲岸不遜にクラリーチェに接するが、実は一目惚れに近いものがあったと思う。恋してしまったのだ、君に(byクロード「琥珀色の雨にぬれて」)ぐらい。それは運命ってやつだ。だって十字路で出会ったのだもの。クラリーチェが肌身離さず身につけていたロザリオも十字。キリスト教(ロザリオを身につけるのはカトリック)にとって十字は特別なもの。十字路に立てば未来が見える、との昔からの言い伝えもなるほどと思う。その未来がヴィットリオであったということ。

「ヴィットリオのために」とは

そんな内心ウキウキ恋の炎に燃えるヴィットリオを見つめるファルコの心情はいかばかりか。

原作によるとファルコはヴィットリオより歳上である。教育係として、剣術から帝王たる心得まで徹底的にヴィットリオに叩き込んできた。

その甲斐あって情けは持たない知略に長けた冷徹な王に成長した。

他国と直接戦争しなくとも隙あらばいつ寝首をかかれるかもわからない権謀術数の時代。国の存続の為にはあらゆるリスクを排除してきたし、その中で最も手を下してきたのはファルコであっただろう。彼は自分が育てた主君の影として献身した。

それはヴィットリオが好きでたまらない、とかいう単純な気持ちではない。

若いヴィットリオには世継ぎもまだなく、彼がいなければ国家も同時に消滅すると言っても過言ではない。つまり「ヴィットリオの為に=国家の為」だろう。

国が他国に踏みにじられれば国民の命や尊厳も危うい。僅かな隙が命取りになるものだ。この大事に、王たるもの全ての力を政に集中させる重要性を感じたことだろう。

「アラドーロ”公”」と称されるように、ヴィットリオは「公」であるべき。「個(あるいは私)」は「公(=国)」の対極をなすもの。その「個」の”愛”という最も個人的かつ深みにはまる感情は、統治に支障が出る恐れがあることを散々伝えてきたはずた。その怖さを嫌というほど見てきたし利用してきたであろう本人がそのリスクをやすやすと抱え込むとは何事だ。ヴィットリオ、自重せよ、お前はこの国の王だ。愛は心の隙を作る。できなければ影である俺が排除するしかない。これはヴィットリオの為だ。ヴィットリオがいなければ生きていけない国家国民すべてのためだ…

という思いがあったのではないか。

愛してはいけない立場のヴィットリオが敵国のクラリーチェを愛してしまった。ファルコは傾城傾国を憂いて、クラリーチェを亡きものにしようとしたのだろう。公妃暗殺がもし発覚すればファルコのみならず家臣まで命はないことも知っている。それでもファルコは覚悟を持って「公」を選んだ。国家への並大抵の忠義心ではなかったのだ。

しかしその確信とともにファルコには迷いもあった。すでに愛を知ってしまったヴィットリオから無理矢理、その愛を奪ってしまってもよいものかと。

クラリーチェへの愛はすでにヴィットリオの心の支えとなっている。その危険性から、あれほど遠ざけてきた「愛」が今や孤独な帝王の心を支えている。愛のもたらす”可能性”にファルコは気付いていていたと思う。だからヴィットリオの信頼を裏切ることだけでなく、愛を知った彼からクラリーチェを奪うことに葛藤が生じ、苦悩したのではないか。

迷いがなければ、秘薬ベラドンナを使った後、亡きものにできたチャンスはいくらでもあったがファルコはできなかったのだ。

それはファルコ自身も愛を知っているからだろう。”愛してはならない”とヴィットリオを教育してきたが、その彼が愛を知ったこと。このことについて、この時点でファルコが自覚するのはもっとあとになると思うが、彼の心の隅で喜んでしまったのではないか。しかし、そんな感情も斬らなければならない。いろんな複雑な思いが交錯して「ヴィットリオのために」がどこまでも響いたのだと思う。

ヴィットリオが剣を捨てるということ

クラリーチェの命と引き換えにヴィットリオが剣を捨てた時はどうだっただろうか。

これまでずっと剣を携えて、覇道を阻む者は皆その場で切り捨ててきたヴィットリオが、剣を捨てるということは、覇道の翼を降ろしたということ。それは常に影であったファルコの役割も終わりであると突きつけられたことだろう。床に落ちた音は、二人の剣による絆を引き裂く音にも似て、無情に響いた。

 

ファルコは家を焼かれ家臣も殺されヴィットリオに復讐する。これまでの複雑な思いと衝動的な怒りが爆発した。しかし命までは取らなかった、取れなかったところにファルコのヴィットリオへの愛情があったものと思う。

幼少の頃からずっと成長を見てきたヴィットリオがファルコが教えてきた枠、それまでの王道の”タガ”から外れてヴィットリオ自身が自分を解放していくさまを見たのだと思う。

剣を捨てた代わりに新たなる翼を得て力強くはばたいて行くヴィットリオを見たのではないか。

愛を知っているからこそ苦悩し愛を排除してきたが、成長したヴィットリオがクラリーチェとともに愛を持って国を統治していくさまを、新しい自由で希望溢れる未来を、ファルコの遠い目には映っていたのかもしれない。愛の力のなせる業を、遠く、遠く…。

おわりに

だいぶ日が経ったことにより、実はかなり思い出せなくなりました。ほぼ私の想像に近いものがあります(若干ポエム)。共感できたりそうでなかったり、感じ方は人それぞれですが早く円盤でないかなあ(切実)。

ツイッターなどで細かいところまで次々に呟いている方、尊敬します。解像度の高い目のレンズとメモリ機能が私にも欲しい。

まあとにかく朝美絢ファルコかっこよくて見えなくなるまで見てしまったことは覚えています。毛先や足音までカッコいい。舞台写真も買っちゃいました。

後から気が付いたけど、小見出しが「ヴィットリオ」続き。やっぱり相当好きねえ!拗らせてるね!ってうっかり思ってしまうわ。でもあの冷たい目の奥にはいろんな苦悩を抱えていたのね。

もちろん望海ヴィットリオのカッコ良さ、真彩クラリーチェの可愛さカッコ良さも痺れたのでそれぞれ書きたい思いはあるけどなんしょ筆が遅いのでちょっと。

お読みいただきありがとうございました。ではではまたいつか〜(^^)

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